ショップスタッフが本来の接客業務に集中できる環境をつくる
(月刊誌 SC JAPAN TODAY 2024年7・8月合併号より 取材/西岡 克 取材日/2024年5月9日 オンライン)
ショッピングセンター(以下、SC)業界の人手不足への対策が求められるなか、(一社)日本ショッピングセンター協会(以下、協会)はデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)委員会を設置し、2021年度から売上精算報告(以下、売上報告)業務の効率化に向けた議論を進めている。2022年5月には「売上報告の効率化に向けた提言」をまとめ、2024年5月30日に開催した協会の第52回定期総会において「2024年版 ショッピングセンターにおける売上報告の効率化に向けた提言」を発表した。そこでDX委員会委員長の林直孝氏に議論の経過や今後の取り組みについて話を聞いた。
人手不足が現場の負荷を高めている
―DX委員会はどのような活動をしているのですか。
大きく2つの領域で活動しています。1つはSCに来館されるお客様の満足度を高めるCX(顧客体験価値)向上のためのDXです。デジタルを使ってお客様の体験価値を向上させる方法について、会員企業同士が情報を共有する勉強会を2023年度は生成AIをテーマに2回開催しました。2024年度は3回開催する予定です。もう1つの領域は、おもにテナント従業員の満足度を高めるEX(従業員体験価値)向上のためのDXです。そこで取り組んでいるのが売上報告業務の効率化です。月1回ワーキンググループ(以下、WG)を開催しています。テナントがディベロッパーに毎日売上げを精算し報告する売上報告業務にはディベロッパー側にも業務があるので、テナントとSC運営側の両方の従業員の満足度を高めることにつながります。
―なぜ売上報告業務の効率化に取り組むことになったのですか。
DX委員会はコロナ禍がはじまった2020年に発足しました。コロナ禍前の2018年ごろから政府はキャッシュレス決済の普及・拡大を推進しはじめました。SCでもさまざまな決済手法を取り入れたので、日々の営業でレジ会計時の決済種類が増え、それを覚えて正しく処理しなければならなくなりました。人手不足と重なって、レジ精算に関わる業務は現場の負荷を高めました。とくにSCごとにルールが異なるので、複数のSCに出店しているテナント従業員はヘルプや人事異動で勤務する店舗が変わることも多く、とても苦労していました。その結果、お客様に満足していただくための接客という最も価値の高い本来の業務の時間を削ることになっていたのです。WGにおいても、テナント企業の皆さんから売上報告に関わる業務を効率化してほしいという声が多く出されたので、DX委員会として集中的に取り組むことになりました。
売上報告業務を「標準化」する
―議論するなかで、どのような課題がみえてきましたか。
実態を把握するため、DX委員会のディベロッパーメンバー各社にアンケートを実施しました。すると日々の売上報告業務でディベロッパーが報告を求めている項目数は多い企業で20項目、少ない企業では3項目とばらつきがあることがわかりました。項目が多い企業は昔から同じやり方を続け、見直しの議論がされなかったことが原因だと考えられます。解決のためには効率化されたできるだけ少ない項目に標準化することが必要だという結論に至りました。
一方で、デジタル化して業務をいかに効率化するかという議論もしてきました。一部のディベロッパーは精算レシートをOCR(光学文字認識)機能を持つスマートフォンで読み取り、紙を提出せずに業務を済ませていることがわかりました。2022年5月には「売上報告の効率化に向けた提言」を発表しました。売上報告という課題を共有し、OCRをはじめとした解決方法を示し、各社の自主努力を求めたのです。
―2023年度はどのような議論が展開されましたか。
2022年に提言を発表しても、それで何かが変わっていったわけではありませんでした。もちろん勉強会や月刊誌「SC JAPAN TODAY」の誌面、SCビジネスフェアにおけるセミナーを通じて啓蒙活動に取り組みましたが、より実効力を高める必要性があると感じました。そこで2023年度に、WGの名称を「ES(従業員満足)×協調領域推進WG」から「売上報告業務標準化WG」に改称し、DX委員会委員の全ディベロッパーに参加してもらうことにしました。将来的には電子的なやり取りによって売上報告ができるように環境を整えることを前提に、2023年度は標準化案をまとめる目標を掲げました。標準化した先にはデジタル化も必要になるので、デジタル化に向けての素案も討議しようということで一致しました。
報告項目は4項目に絞り込んだ
―「2024年版 売上報告の効率化に向けた提言」を発表しました。このポイントは。
今回は2022年の提言からもう一歩踏み込んで、業務フローの標準化案を提言しました。報告項目数を少なくし、テナントが報告に関わる時間を短縮できるようにしました。また紙で提出することには無駄があり、間違いも起きるので、ペーパーレス化を提言しました。
項目数を減らすため、WGには各ディベロッパーの売上精算の報告業務に関わる実務担当者に参加してもらいました。あるディベロッパー(A社)が非常に少ない項目数で長期間運用していた実績があったのでそれを参考に議論を重ね、①純売上、②商品券類、③売上控除、④レジ客数の4項目に集約した標準化案を提言したことが今回のポイントです。
標準化を実現するには、SC側が今までのやり方を見直すことが必要です。提言では基本的な考え方を「テナント報告値を正とする思想に転換」し、業務を簡素化しようと呼びかけました。それまでは純売上を正しく把握するために、現金売上げやクレジットカード売上げ、電子マネー売上げ、消費税などの項目も提出してもらい、ディベロッパーがすべてチェックするという発想でした。そうではなく、テナントから報告された純売上の値を正しいものとして扱おうというわけです。そうすることで、提出してもらう項目数もぐっと減らせますし、提出してもらった数値をチェックするというディベロッパー側の業務もかなり効率化できます。
ペーパーレス化も同様です。紙に書き写して紙で報告するのをやめ、またディベロッパーが発行している紙のクーポン券類を廃止、または電子化しようと提言しました。この独自発行の金券類が業務を複雑にし、労力を増やしているのです。これはテナントだけでなく、ディベロッパー側の業務負荷を高めることにもなっています。
現在でも紙の報告をしていないディベロッパーが複数あります。項目数を減らして、テナント従業員の日々の報告業務を軽くし、効率化するという視点に立てば、紙で提出する仕組みは自分たちの考え方や、やり方を変えれば変えられることなのです。
―報告を4項目に絞ると、項目数の多いディベロッパーから「不安」という声は上がりませんでしたか。
実際、実務担当者からはそういった声はありました。ただそれはテナントの負荷を高めてしまうのではないかというものでした。つまり今まではディベロッパー側が正しく賃料計算されるように、報告を細かくチェックをしていました。項目数を絞れば、テナント側は提出する前に自ら厳しく点検しなければならなくなるからです。
今回の提案はまったくチェックをしないわけではなく、異常値のようなエラーが出た場合にはディベロッパー側でも確認する態勢を取ろうとしています。必要な項目を最小限にしてもらうことで、双方の業務を軽くしていこうという視点で皆さんに納得してもらえました。
報告項目はA社では3項目だったのですが、議論のなかで売上控除は必要だという合意ができ、最終的に4項目に落ち着きました。売上控除とは、たとえばテナントがお包みをする箱や袋の料金です。箱が有料の場合、これを純売上に含めない場合は売上控除になります。ほかに送料やお直し代もあります。
次は「共通プラットフォーム構想」へ
―DX委員会の今後の取り組みは。
標準化案を策定できたので、それに基づいて2024年度はデジタル化を推進すべく、図表のような「共通プラットフォーム構想」を具体的に進めていきます。将来的には標準化されたプラットフォームを用いて電子的に効率化された方法をSC業界に築いていきたいと思います。
標準化案に基づいて共通プラットフォームを構築するために、ディベロッパー向けに日々のPOS(販売時点情報管理)レジの仕組みを提供している複数のベンダー企業とすでにやりとりをしており、今後はWGを通じて意見を聞いていきます。そのなかで共通プラットフォームの仕様を詰めていきます。ディベロッパーとテナント間でデータのやりとりをしなければならないので、テナントと取り引きのあるベンダーとの擦り合わせもしなければなりません。
―いつごろまでに詰めるのですか。
2024年度中にまず共通プラットフォームとはどんなものか、またどんな仕様にするかというプランニングをしたいと考えています。2024年度中にプラットフォームを実際に構築するまでは難しいと思いますが、できるだけ早く稼働ができるように、スピーディーに進行していきます。
―標準化案を普及・浸透させることも必要です。
もちろん提言書を定期総会の場で発表し、協会WEBサイトに掲載するだけで普及・浸透できるとは思っていません。各社が内容を理解して、標準化に対応しようとアクションを起こしてもらうことが重要です。したがって2024年度は、DX委員会委員が主要な都市を訪問して、勉強会などを通じてそこに参加されたSCの皆さんに直接問いかけ、コミュニケーションを取って周知することが必要だと考えています。
またDX委員会の委員企業は日本を代表するSC企業なので、各社が強く推進してもらえば、業界全体の標準化に向けて、あるいはプラットフォーム化についても強いメッセージになると思います。
―まさに業界全体で課題に取り組むことになりますね。
SC業界にはさまざまな課題があります。その根本的な原因は日本の全業界にわたる人手不足です。これを個社で対応するのではなく、テナントも含めて業界全体で取り組むことが大切です。これはDX委員会に限らず、さまざまな場面で協会が進めていることです。
DXというと、デジタルの担当者に任せていればよいと思われがちですが、それでDXが進むわけではありません。企業の意思として「全社ごと」として取り組むべきで、一部門が、協会でいえばDX委員会だけで進めることはできないのです。業界の皆さんが「自分ごと」として課題を認識し、この問題に真摯に取り組むという姿勢がとても大切です。我々も共感してもらえるように普及活動を進めますが、興味を持って、多くの方々に参画していただきたいと思います。
林 直孝
(一社)日本ショッピングセンター協会 デジタルトランスフォーメーション委員会 委員長
㈱大丸松坂屋百貨店 常務執行役員 デジタル戦略推進室長
(役職は2025年8月15日現在)